<p>ネパールは、20世紀半ばまで農耕社会が中心で、外の世界から離れていました。1951年に近代的な時代に入ったが、学校、病院、道路、通信、電力、産業、公共サービス等の社会インフラが殆どありません。南にはインド、北は中国(チベット)に挟まれ、海へのアクセス、海外へのアクセスが容易でないネパールは、1950年代から持続可能な経済成長の道を選びました。それ以来、いくつかの社会改革と経済改革のプログラムを実施しています。経済発展の手段として、5カ年計画(英語版)の一連を採用、第1次5カ年計画(1956〜61年)は、開発費に5億7600万ネパール・ルピー (NPR) が割り当てられました。2002年に9回目の経済開発計画を修了、通貨のNPRが転換できるようになった他、5カ年計画内に17の国営企業が民営化されました。ネパールの開発予算の半分以上は諸外国による援助によって構成されています。これまでに、交通、通信施設、農業、および産 業分野の発展を最優先の開発課題としてきました。1975年以降、行政の改善と農村分野の開発を強調してきました。</p><p>ネパールは、標高8,000m級の山を8峰有するなど自然の豊かな国で、日本からも多くの観光客・登山客が来訪しますが、未だにアジア最貧国の一つであり、一人当たり所得707ドル(2012年)に留まっています。また、1996年にマオイスト(共産党毛沢東主義派)が武装蜂起し、10年に及ぶ内戦を経験しました。2006年11月の包括和平合意以降は和平プロセスが進捗していますが、依然、新憲法制定等の重要な政治課題を抱え、政治・社会的に不安定な状況にあります。さらに、経済成長を牽引する有望な産業が育たず、道路、電力などのインフラの整備レベルが低いことが経済成長のボトルネックになっています。JICAは、「持続的かつ均衡のとれた経済成長の実現」を目指し、道路・電力・水道等のインフラ整備や民間セクター開発のための支援、法整備などの国家・社会の枠組み作りや行政能力強化に関する支援、農業・教育・保健等の地方部における貧困削減のための支援を行っています。</p><p>ネパールの経済は、農業が主な支えで、人口の80%が農業中心に生活している。GDPの37%は農業活動によるものです。米、小麦、トウモロコシ、ジャガイモ等が、主要な食用作物です。ネパールの総面積の約20%が耕作可能な土地で、その他33%は森林地帯で、残りの大部分は山岳地帯です。低地の肥沃な平原地帯のタライ地域は、農業の余剰を生成し、食物欠乏丘陵地帯を供給します。干ばつや洪水で農作物が阻害を受けている。土地保有者の割合は少なく、国の衛生状態は極めて悪いです。また、人口増加の影響により、食糧危機の状態にあります。</p><p>ネパールの商品貿易収支は、カーペットや衣類産業の成長で2000年以降やや改善しています。2000~01年度は、輸入(4.5%)に対し、輸出(14%)に増加し、前年度比の貿易赤字を4%削減できました。ネパールの1999年~2000年度の貿易赤字は7.49億ドルです。東西と南にインドに囲まれるネパールのメインな貿易パートナーはインドである。インドとの貿易は、二国間の1996年二国間貿易の条約の締結以来、急速に上昇し、現在はすべての輸出の43%を占めています。中国はネパールへの第2位の輸出国であるが、インドとは違って、ネパールの商品の輸入は殆どしていません。中国はこのように第二の経済大国で在りながらも、ネパールの通貨の安定と金融のバランスに負担をかけている状況です。ネパールは1998年6月に世界貿易機関 (WTO) への対外貿易体制に貿易覚書を提出、2000年5月の加盟について直接交渉を開始した。ネパールは南アジア地域協力協会 (SAARC) - SAFTAの会員国です。ネパールの経済成長は、インドの経済成長にも影響を与える南アジアの毎年のモンスーン雨に左右されます。モンスーンの欠如は、経済成長に大きな影響を与えます。ネパールの1996年から1999年までの経済成長 (GDP) 率は、平均の4%未満に止まりました。GDPは1999年に回復し、6%に上昇したが、2001年に5.5%とGDPは若干落ちました。<br></p>